後悔との決別

数か月持ち続けている「後悔」と決別するため、ここに筆を執る。

一年前、私は就活に精を出していた。その最中にいわゆる就活仲間として、一人の人物と仲良くなった。彼はグループワークでも積極的に舵取りができ、それでいて人間性も抜群に良く、頭も切れるという、優秀という言葉を正に射影したような人物であった。私は、彼の優秀さに憧れを抱き、一緒に働きたいとも思った。事実、彼と私の第一志望および第二志望の企業(ここでは、それぞれA社、B社と記すことにする)が同じだったことを知った時、嬉しさを覚えていた。

私は幸いにも、就活は順調に進み、彼よりも早くA社とB社の企業から入社のお誘いを受けた。そのことを彼に連絡すると、丁寧に祝ってくれ、A社から内定をもらいたいと言っていた。ところが、私はA社の入社を希望しB社にはお誘いの断りを入れた数日後、私は彼から驚くべき連絡を受け取った。彼は、A社の選考を辞退し、B社の内定を承諾したのであった。

もちろん、個人の選択はそれぞれ異なって然るべきと考えているし、人生における分岐点選択に絶対的正解があると信じるほど私も青臭くはない。また、私も様々な観点から企業比較を行い、納得の上でB社ではなくA社に入社すると決めた。ただ、事実に対する頭の受容と心の受容は異なるのだろうか、このことを思い出すたびに私はB社で彼と一緒に働く、そういう未来があっても良かったのではないか、そう夢想してしまうのである。

この心の動きを私は後悔の念だと認識していた。そして、そんな後悔を抱きつつも頭では違う判断をしてしまった自分をどのように受け止めればよいのか悩んでいた。

今日も、川辺を歩きながら、ぼんやりとこのことについて思いをはせていた。どうしようもなく、どうしようもない。そういう気持ちになった。

しかし、そこで気付いたのでった。どうしようもないことは、どうしようもないということに。

もし、先の夢想をかなえるために、B社で働けることができたとしよう。そうであっても、私はA社で働くことができなかったことに、何かしらの理由で「後悔」を抱くのだろう。結局のところ、どう選択しようとも私の心には「後悔」が残る。つまり、私は、同じ時間を二度も過ごせないという不可能性に対して葛藤を覚えていたということなのだろう。

私は、人間の身であっては絶対に解けることのない悔いを心で味わい続けていたということになる。そういう、本当にどうしようもないことからは別れを告げたい。そして、私が頭をひねって導き出した私の選択を受け入れてみたいと思う。

私は、今までコーヒーを苦みだけで味わおうとしていたのかもしれない。